~東日本大震災から7年 インタビュー~

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浪江町(なみえまち)で被災し、郡山市で開店してまもなく7年。県内外からお客様が訪れる新さくら通り沿いの山本整体院。山本ご夫妻に震災当時から現在に至るまでについて、お話を伺いました。

震災インタビュー
↑前回の取材時に読者モデルさんと撮影

Q. 震災当時の苦労は?

震災当日の揺れのあとは電気が止まっていたので、テレビやラジオを聴くこともできず何が起こったのか分かりませんでした。その晩は自宅で過ごしましたが翌朝に町内で避難指示の放送があり、大変な事になっていると知りました。その後は地元の人たちと一緒に津島に避難し、二本松の体育館で1ヶ月、猪苗代のペンションで 3ヶ月を過ごして郡山市に来ました。当時はどうしていいか分からない。今後どうなるんだろう。この状態がいつまで続くのだろうと不安な気持ちでしたね。

↑震災後、浪江町の山本整体院(グーグルストリートビューより)下の写真は当時の浪江町の様子。(山本さん撮影)

震災インタビュー 

震災インタビュー

震災インタビュー

震災後の浪江町の様子
↑地震で止まった時計

震災後の浪江町

震災後の浪江町

震災後の浪江町の様子

Q. 現在の浪江町の様子は?

浪江町の店舗と自宅は幸い海から離れた場所で大丈夫でしたが、海側のほうは瓦礫の平野になってしまいました。今は大部分が空き地になっていて、どこに何が建っていたのか分からないぐらいです。浪江町には請戸漁港がありますが現在は漁師が漁を再開するために、海の中のがれき回収をしているそうです。

Q. 今の心境は?

今もまだ心は落ち着いてはいないですね。避難している時までは一緒に避難してきた地元の人たちと一緒でしたが今はみんなバラバラ。浪江町は地域の横の繋がりが強いところだったのでさみしく思います。でもここまで来たらあとはここで頑張るしかないと思っています。

山本整体院 施術の様子

山本整体院 カウンセリングの様子

震災から4ヶ月後の2011年7月に郡山店を開院。現在は福島店と2店舗。震災当時から一緒にいるチワワ3匹と一緒に暮らしていらっしゃいます。

地元と郡山で感じた違いは? 浪江町のことを教えてください。

●浪江地区はらーめんやカレーなど、何でもメニューがある大衆食堂が多い。
●浜通りはみそ文化でしたが郡山はしょうゆ文化。例えばらーめんなど。
●浜通りでは刺身はにんにく醤油が主。
●浜通りではカツ丼といえば卵とじ。 中通りではソースカツ丼が主。
●海産物が豊富。ほっき貝や伊勢海老やコウナゴが獲れる。

カイロプラクティック・美容カイロプラクティック
山本整体院 郡山店
Tel:024-952-4503
住/ 郡山市堤1-88 堤マンション1-101
営/ 月・金・第2、4 土/ 9~12 時、14~19 時

ホームページ→ https://stylekoriyama.com/shop/yamamotoseitai/

 

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