須賀川の韋駄天!!【世界の円谷幸吉さん物語】~足跡を辿って須賀川巡り~

須賀川の韋駄天!!【世界の円谷幸吉さん物語】
~足跡を辿って須賀川巡り~

Here is the English version

須賀川の韋駄天!!【世界の円谷幸吉さん物語】~足跡を辿って須賀川巡り~

↑畠野コーチとニッコリ(右:円谷幸吉)

2回目の開催となる東京オリンピックの開幕が来年と近づいてきましたね。今回の聖火リレーは”復興五輪”として、福島県から出発した聖火が全国を回って東京へと向かうそうです。世界中が注目する祭典で、各国のアスリート達が練習の成果をどのように見せてくれるのか、今から期待でドキドキしちゃいます。

オリンピックでは、競技の勝敗・結果だけでなく、選手と選手に関わった人の様々なドラマがあります。かつて1964年(前回)の東京オリンピックでは、ある陸上選手の力走が日本中を熱狂させました。選手の名は円谷幸吉。須賀川市出身の韋駄天(いだてん)です。東京オリンピックのヒーローとして注目・期待されていましたが、次のメキシコシティオリンピックに出る前に亡くなりました。円谷選手とはどんな人物だったのか。それを知りたくて、彼が生まれた須賀川市を訪れました。

円谷幸吉は農家の7人兄妹の末っ子として須賀川市で誕生。兄姉に可愛がられていました。子供の頃は兄達とよく駆け回り、家の手伝いもしていました。
走り始めたのは高校2年生の夏。兄・喜久造さんと友人が陸上の練習する姿を見て。やがて陸上部に入部。福島縦断駅伝の代走を務めた際に、区間新記録を出したことを機に、本格的な陸上競技への道を歩み始めます。

高校卒業後は陸上自衛隊に入隊。3カ月の訓練後、郡山市の自衛隊に配属されます。自衛隊に陸上部はなく、幸吉は一人で練習しますが、声をかけてくれた先輩と二人で陸上部を始めます。徐々に幸吉の人柄に惹かれた人たちが集まった陸上部で、持久力・スピードが増した幸吉はその後、メダリスト養成所といわれた自衛隊体育学校へ推薦で入学。コーチの献身的な指導を受け、自身でも練習方法を研究。充実した日々を送ります。

東京オリンピック候補選手記録会では、1万メートルで日本新記録を、マラソンで第2位を記録。マラソンを始めてわずか2回で、オリンピックへの出場が決まります。

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↑海外合宿での円谷選手たち。(前列左:君原選手、後列左:寺沢選手)

そして迎えた1964年(前回)の東京オリンピック。幸吉はマラソンで銅メダル、1万メートルで6位と2種目入賞を果たします。一つのオリンピックでマラソンと1万メートルの両方に出場した日本人選手は幸吉だけでした。陸上競技で唯一のメダル獲得と幸吉の力走に、日本中が熱狂。マラソンでの走りに幸吉は、「一人で走っているのではなく、(皆さんが)背中を押してくれた感じがした」と語っています。

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↓色褪せた布地や新聞紙が、時の経過を雄弁に物語っている。

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彼の走りを支えた相棒のシューズは足に合わせて削ってある。現在の製品より生地が薄く感じられる。世界と競った足のサイズは25.0㎝。身長は小柄で163㎝。

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オリンピック終了後は、次に開催されるメキシコシティオリンピックでの活躍を大いに期待されていた幸吉ですが、信頼するコーチの転勤、破談、椎間板ヘルニアの手術に加え、トレーニングの時間確保も難しい状況に。メキシコシティオリンピックの開催年となった1968年1月、27歳の若さで亡くなりました。

幸吉は今、須賀川市内の十念寺にある墓に眠っています。家族達へ、感謝の気持ちを綴った遺書は切ないですが、実に美しい日本語で書かれた名文でもあり、文豪達にも深い感銘を与えました。しかしこれを機に、アスリートへのメンタルサポートが実施されるようになります。

彼を知っていくと、「ひたむき」、「精一杯」、「誠実」、「愚直」、といった言葉が浮かんできます。責任感が強く、真面目で誠実で、家族、友人、師を大事にする。常に全力で走り続ける、人生そのものがフルマラソンのような人。

今回、半日足らずの小さな旅でしたが、円谷幸吉という人物が生きた証、残したものがたくさんある須賀川市。行ったら更に彼を好きになりますよ。

円谷幸吉メモリアルホール

円谷幸吉について知りたいならこちら!! 彼が実際に使用したシューズ、ユニフォーム、獲得したメダル・トロフィーなど、ゆかりの品々が大切に保管・展示されています。

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↑小さな子にも分かりやすい絵本

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↑折に触れてサインなどに記した言葉は『忍耐』。

国立競技場で実際に使用されていたベンチ。当時の実況を交えたVTRで詳しく知る事も。

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円谷幸吉メモリアルホール

住所/須賀川市牛袋町5番地 須賀川アリーナ内
TEL/0248-76-8111
開館時間/9:00~17:00
休館日/毎週月曜日(月曜日が国民の祝日のときは翌日)
12月29日から1月3日まで
入館料/無料

 

円谷幸吉の顕彰碑

旧奥州街道沿い、大町のポケットパーク「よってけ広場」にある。記念碑と紙芝居のような『物語ボックス』がある。

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スライド式の扉を動かして見進めていく。見終わったら扉は閉めてね♪

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見よ、世界の大舞台を踏みしめたのがこの足だ!!

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所在地/須賀川市大町300

幸吉に因んだ菓子

円谷幸吉の生家にほど近い菓子店。幸吉や兄の喜久造さんもよく買いに来たという。伝統的な和菓子だけでなく、しゅうくりーむ・お米の純生和ロールなどの洋菓子もあり、和洋どちらも味わってみたい品揃え。

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「幸吉餅」は福島では馴染み深いゆべし。ゴマ・クルミの二種類がある。もっちりとした歯応えでほのかな甘みとしょっぱさがあり、優しい味わいが口中に広がる一品。

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メモリアルマラソンが始まる前から作られているロングセラー商品で、1964年の東京オリンピックで、地元から応援団の一行が東京まで向かう時に餅を持って行った事から、兄の喜久造さんにも相談して、もち米を使ったゆべしに決まった。円谷幸吉メモリアルマラソン大会の参加者がお土産に購入したりする。

御菓子司 玉木屋本舗

住所/須賀川市大町302
TEL/0248-73-2393
営業時間/8:30~19:00
※土日祝18:00まで ※品物がなくなったら閉める場合があります。
定休日/火曜日

円谷幸吉メモリアルマラソン大会

須賀川市出身の円谷幸吉選手の偉業をたたえるとともに、第二の円谷選手育成も目指して、昭和58年から始まったマラソン大会。今年2019年の開催日は10月20日(日)。彼が実際に走っていたトレーニングロードを走ってみよう。

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郡山市の自衛隊に就職後も、休日は須賀川市の実家まで走って帰っていたという!
理由は「母親の料理が食べたいから」。聞くほどに家族を愛し愛されていたエピソードが多い。

青梅マラソン

『円谷幸吉と走ろう青梅報知マラソン』が、現在の青梅マラソンの第一回目。以降、現在も多くの市民ランナーが参加する人気の大会となった。

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「駅伝王国」福島

1月20日(日)に行われた『都道府県対抗男子駅伝2019』では、福島が2時間19分43秒で大会初優勝を飾った。東北勢の優勝は初めて。「駅伝王国」とも呼ばれる福島県では以前から「陸上王国福島」を目指し、県をあげて強化に取り組んでいる。その結実だろうか。

 

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