西田敏行さん インタビュー ~凱旋記念スペシャル!~ in 福島県民栄誉賞 表彰式

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県民栄誉賞おめでとう!西田敏行さん!!

Here is the English version

気持ち良い秋晴れの9/17(月)、郡山ビューホテルアネックスでは俳優・西田敏行さんを招いて福島県民栄誉賞の表彰式が開催されました。西田敏行さんは県で4人目の(福島県民栄誉賞)受賞となり、2018年・春の叙勲(旭日小綬章)に続いての慶事。今回の授賞式は初の公開制で、県民の関心の高さがうかがえます。
どんな想いを語ってくれるのか、スタイル郡山が取材してきました!!

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さん インタビュー

会見の様子

会場には大勢の報道陣ほか、抽選での参加となった約300人の観覧客。小さなお子様やご年配の方まで多くのファンが集いました。ステージに登壇してすぐに、両手を広げてややおどけたポーズをとる西田さん。会場の空気を一瞬にして和ませてしまいます。

西田敏行さん インタビュー

みんなドキドキの授賞式☆

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さん インタビュー
内堀県知事よりを贈られた表彰状と記念品の大皿(漆塗り)【代表撮影】

トークセッション

続いて行われたトークセッション。受賞の感想や故郷への想いなどを率直な言葉で、時に笑いを取って時間の許す限り語ってくれました。

西田敏行さん インタビュー

―受賞の理由

(知事)今回、福島県民栄誉賞を贈ると決めた理由は2つあります。
1つは(西田さんが)素晴らしい国民的な俳優であるという事。俳優、歌手、司会、ナレーションなど幅広く活動して、人々を笑顔にし、勇気を与えてくれます。
2つ目は東日本大震災の後に「頑張ろう福島キャンペーン」など、すぐに駆け付けてくださり、大きな声で福島を盛り立ててくれた。福島県が制作した復興のPR動画にも参加して下さいました。
福島県民栄誉賞は福島県や知事のものではない。西田さんを応援している全国のファンが、「これからもありがとう」、「これからも頑張ってね」という気持ちで贈るものだと考えています。

―(福島県民栄誉賞を受賞して)今のお気持ちは?

(西田)福島に生まれ住んで本当に良かった。自分の両親は福島県出身ではありませんが、生まれ育った福島県をずっとずっと愛しています。
(受賞は)面映ゆい気持ちもありますし、(自分にとっては)とても嬉しい事なんですが、自分がそれに値するかと考えてしまう。ただ絶えず福島を想いながら仕事を続けてきたという事は自負しています。あと何年出来るか分かりませんが、これからも仕事ができるように、変わらず福島を想いながらこの賞を糧に俳優として生きていきたい。福島県民として発信し続けていきたいと思います。

西田敏行さん インタビュー

―子供の頃のエピソード

(西田)子供の頃は猪苗代湖を海だと思っていました。いわきで初めて海を見るまで「猪苗代湖の水はなんでしょっぱくないんだ?」と不思議に思っていました。
夏は友人たちと阿武隈川で遊んでいました。そこで『ベコ洗い』で、縄で牛を洗ってやったりね。途中で放尿されたりもした。こういう体験が自分の情操を育んでくれたと思う。

―幼少期に父親が他界、母親の再婚。5歳の時に(実母の)姉夫婦の養子に。養父母に育てられ、映画好きの養父と映画館に通う少年時代。

(西田)アラカン(嵐 寛壽郎)とか時代劇が好きで、そういう映画ばっかり観ていました。父が見せてくれた作品には大人向けの作品もあって。早く大人になったかな(笑)。
当時の映画館は6本立てもあったので、弁当持参で半日映画を観ていました。映画を観続けるうちに、だんだん俳優への気持ちが強くなりました。そして映画で「東京弁」に触れるうちに、「郡山弁」だけじゃ役者として通用しないだろうと。そう思って、東京への語学留学を決めた(笑)。両親に頼み込んで上京させてもらいました。

西田敏行さん インタビュー

―上京し、役者としてのスタート

(西田)(当時の芝居で使われていた台詞・言葉回しを振り返り)きれいな言葉でなくては通じない世界の中で、地元の友達とも会わないようにしていました。ホームシックになると、学校もサボって上野動物園に行っていた。そこにアフリカからやってきたゴリラの『ブルブル』がいて。遠くから来た『ブルブル』を見ていたら、当時ふるさとを離れてホームシックだった自分とシンクロしちゃって。檻がなければハグしてました(笑)。以来、寂しくなると『ブルブル』に会いに行きました。

―俳優を続ける秘訣は?

(西田)少年の頃から持っていた好奇心。楽しい事を考える好奇心だけは旺盛にあって。それが役者人生を支えてくれていると思います。
いろんな映画をたくさん見せてくれた父にはとにかく感謝。大人としての気遣いなんかも、映画から学びました。
おおらかな土地柄の福島で、明るい考え方が出来るようになったと思います。自分の行動指針は『小原庄助』さん(笑)。

―役者・俳優について

(西田)僕はとにかく演じるのが好き。毛色の違う役がくるとワクワクする。
(僕が思うに)俳優っていうのは、誰々が演じる「役」。役者っていうのは、この「役」を誰々が演じるっていう事。自分では自分の事を「役者」だと思っています。
私は俳優・西田敏行と言われるよりも、役者・西田敏行と言われたい。

西田敏行さん インタビュー

西田敏行さんは郡山市出身。少年時代を郡山で過ごし、俳優を志して中学卒業後に上京。昭和42年に俳優としてデビュー。以降、着実にキャリアを積み『釣りバカ日誌』、『池中玄太80キロ』、『アウトレイジ』など、数々の作品に出演。俳優だけでなく、歌手や司会者、ナレーションなど幅広く活躍されています。

 

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