工学博士 サンジェイ・パリ―ク氏 インタビュー【Style郡山スペシャルインタビュー】

Style郡山スペシャルインタビュー
“How do you like FUKUSHIMA?”

福島県内で活躍する外国人の方を紹介形式で“繋ぐ”インタビューシリーズ。
今回は日本大学 工学部で建築材料学を教える工学博士 サンジェイ・パリーク氏をインタビュー。
来日したきっかけ、日本での生活や異文化に触れて感じた事、ご自身の研究についてなど、いろいろなお話を伺いました。

Professor Sanjay PAREEK, Dr. Eng.
教授・工学博士 サンジェイ・パリーク

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

サンジェイ先生の出身はどちらですか?

私はインドのジョードプール出身です。ジョードプールは歴史がある街で、豪華絢爛なメヘラーンガル城塞やウメイド・バワン・パレスなどのいくつかの大きなお城があり、そこに住んでいるジョードプールのマハラジャ(藩王国の王)は地元でとても有名です。私の街は多くの戦争を経験してきましたが、一度も占領されたことがありません。ですので私達はそれらの遺産をとても誇りに思っています。

メヘラーンガル城塞

メヘラーンガル城塞

アメイド・バワン・パレス

ウメイド・バワン・パレス

↓ウメイド・バワン・パレスでマハラジャと一緒に撮影

マハラジャと一緒に撮影

また、インドにはヒンドゥー教のお祭りがたくさんあります。ディワリ祭という光の祭典は10月、11月に行われる主要なお祭りで、3月、4月には色の祭典であるホーリー祭が行われます。インドのカレンダーは月と太陽の関係に基づいて計算された独特なものであり、新年はホーリー祭がある「チャイトラ月」から始まります。

↓ホーリー祭で撮影

ホーリー祭

子供の頃はどのように過ごしていたのですか?

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

↑母と一緒に(4歳)

子供の頃はよくクリケットやバトミントンをしていました。小学校を卒業後はナイジェリアに引越し、ナイジェリアで最も国民的なスポーツであるサッカーをしていました。
私の父は外務省で働いていたので、子供時代はインドのジョードプールやムンバイ、ナイジェリアのイバダンやリビアのトリポリなど様々な場所で過ごしました。ナイジェリアの高校を卒業した後は、インドの大学で学士号を取り、その後は郡山の日本大学で大学院の研究を終えました。

↓3人兄弟(左が長男のサンジェイ先生)

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

ナイジェリアに留学中(12歳)

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

日本に来たきっかけは何ですか?

インドにいた頃、日本の大濱 嘉彦(おおはま よしひこ)教授がポリマーコンクリートの分野で独自の研究をされていることを知りました。そして大濱教授がリビアの国際会議に出席する機会があり、そこで私の父は教授と出会いました。父は私に彼の研究のことを教えてくれたのですが、教授の広範囲にわたる研究に私はとても感銘を受けました。
それから私は教授の論文をたくさん読み、さらに深く教授のことを知りました。そして同じ分野の研究で修士号と博士号を取りたいと思い、インターネットやメールが無い時代でしたので、教授に手紙を書きました。すると私に関心を持ってくださった教授から日本に招待され、研究チームのメンバーとして学ばせていただけることになったのです。

↓日本に来たばかりの頃、初めて見る雪。大濱先生と一緒に撮影。

大濱先生とサンジェイ

最初に日本に来た時、何か母国との違いを感じましたか?

はい、特に言葉と食べ物と文化ですね。インド人は英語とヒンディー語を話しますが、私は日本語に触れたことがありませんでした。日本に来た後はコミュニケーションを取ったり、事務的な手続きをするにも言葉の障害は大きいものでした。研究室の仲間も英語を話せなかったので、コミュニケーションが全く取れませんでした。そのため、ほとんど全ての時間を誰とも話さずに過ごしていました。研究室には多くの学生がいるにも関わらずコミュニケーションが取れないということは、私にとっては惨たんたるものでした。
それから私はこの壁を克服するために一生懸命に日本語を勉強しました。そういう経験もあり、今では日本語で建築材料学の授業をしたり、専門用語も使って日本語の論文を見直したり訂正したりできるまでになりました。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

次に食事の問題がありました。私はヒンドゥー教徒でカースト(身分制度)はバラモンのため、ベジタリアンでした。私たちの国ではバラモンの人達は、肉や魚や卵類を食べることができません。ですので日本に来た時はレストランや食堂では食べられるものが、サラダかパン以外にありませんでした。しかしほとんどのパンでさえ、製造過程で卵が使われています。

自分で料理を作ったのですか?

いいえ。大学の研究でとても忙しかったので毎日牛乳とパンとサラダだけを食べていました。その結果、体重がかなり減って元気もなくなっていきました。私は母親に電話をしてこの状況について話しました。母親は「神様はきっと、あなたが生きていく場所として日本を選ばれたのだから、生きるために、その国の食べ物を食べなさいということなのよ。」と言ってくれました。私は神様にお祈りして許しを請い、それからは何でも食べるようになりました。ほとんどの日本食は好きですし、食事に関して制限をしないようにしています。ちなみに私の妻は日本人で、とても美味しいインド料理や日本食を作ってくれるので日本食がとても好きになっていきました。

↓インドのウメイド・バワン・パレスでの結婚式の様子

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

次に文化面ですが、文化についてはあまり違いを感じることはなかったです。日本とインドは人との接し方も似ているところがあり、日本と同じようにインドでも年上の方、若い方、同世代の方に異なる話し方をします。年長者には敬語を使い、若い人々も同じように私に敬語を使い、年長者から学ぼうとします。

↓日本大学で博士号を取得。東京の武道館での卒業式で生徒代表として登壇。

日大 卒業式

最近はどんな研究をされていますか?

主に自己修復するコンクリートの研究や、セメントを使わないコンクリートの研究をしています。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

それに加えて、コンクリートがバッテリーとなるものを研究しており、特許を出願中です。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

ほとんどのバッテリーはアルカリ性でコンクリートもまたアルカリ性です。しかし特別な材料を加えることで、光を生み出す事が出来ます。もし大きな地震が起きて電力不足になった時でも、コンクリートから光を作ることが出来るのです。このように私たちの研究室ではSDGsをモットーにした研究を中心に行っています。

一方で、私はインドのために何か貢献したいと思っています。現在は非焼成レンガ(ノンファイア・ブリックス)を開発中です。一般的にレンガは土から作られていて、強度を上げるために石炭で焼成します。ですが、この方法では燃料を大量に消費してしまいます。
そのため、私たちは現在、発電所から出る使用済みのフライアッシュを再利用した焼成無しで作れるレンガの研究をしています。

※フライアッシュとは、石炭火力発電所で微粉炭を燃焼した際に発生する石炭灰のうち、集塵器で採取された灰のこと。

インドの電力はほとんど火力発電所で作られており、多くの二酸化炭素と廃棄物であるフライアッシュを生み出していますが、焼成無しのフライアッシュレンガは廃棄物の問題を減らし、エネルギーを節約し、二酸化炭素の放出量を削減することができます。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク

福島であなたの好きな所は?

私の好きな自然の場所は磐梯山の麓にある猪苗代湖畔です。人工的な場所でいえば大内宿ですね。大内宿はよく保全されていて、江戸からやってきた昔の旅人達がここを拠点に日本の北国へと向かう様子を彷彿とさせてくれます。もし、真の心のやすらぎを求めるなら、福島県の山々や猪苗代湖の眺めもいいですね。また、白虎隊などサムライ文化の歴史がある会津若松も、とても好きな街です。

将来は何をしたいですか?

私は教育と技術の異文化交流のために、より多くのインド人学生を日本に、そして日本人学生をインドに留学させたいです。今、インドは急速に発展しており、日本の技術を必要としています。日本もまた、地域産業を支えるために多くの若い技術者を必要としています。このような背景から私は日本とインドの友好関係をさらに強めていきたいと思っています。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

東日本大震災を経験して、福島についてどのように感じていますか?

震災は東北地方にとって大惨事でした。その後の原発の爆発により、さらに大きな悲劇と汚染による風評被害をもたらしました。地震によるライフラインの被害は半年~1年ぐらいで復旧しましたが、原発問題は現在も続いています。二度とこのような事が起こらないことを願っています。

先生の研究は何か原発問題の解決のために関わっていますか?

はい。放射線を遮断する高密度コンクリートを研究して作っています。このコンクリートで作られたコンテナは放射線廃棄物を格納する役割を担っています。
私は研究者であるならば、今いる地域のためになる研究をするべきだと考えています。震災の時には、放射性廃棄物を格納のために最善の解決策を見つけ出すことに集中し、そして高密度コンクリートを開発することによって地域に貢献することができました。私たち研究者や教育者はグローバルな視点で考えたり行動することも大事ですが、まずは身近な地域社会に役立つことから考えることが大切だと思います。多くの人々が大きな成功のために海外に目を向けて考えたり、行動しがちですが、まずはそれよりもローカルな問題について集中することが大切だと思っています。

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

コンクリートバッテリーというアイデアも、近年差し迫っている問題を解決したいという思いから生まれた発想です。洪水や地震の時に頻繁に起こっている電力不足を解消するためには、コンクリートバッテリーのようなものを作らなければと思いました。私は常に自然災害や電力節約のために、社会に役立つことを考えながら研究しています。

最後に、Style郡山読者にメッセージをお願いします。

私は研究者であり教育者ですので、福島の様々な学校から来る生徒たちを育てていきたいです。多くの留学生もいますし、私も外国から来たという背景もあるので、生徒がグローバルな視点で考えられるような情報や知識を提供していきたいです。その中で彼らが学んだ文化や技術を日本の国内外で活かしてくれたら嬉しく思います。

また、私はインド出身で、諸外国に行った経験もあるので、若い人たちがグローバルに活躍するきっかけとなりたいと思っています。日本は小さな国ですが、ビジネスや教育の機会や技術力にあふれています。日本人はそれをアジアやアフリカ、南アメリカのような国々の発展のためにも貢献して欲しいと思っています。

↓研究室の皆さんと一緒に撮影

工学博士 サンジェイ・パリ―ク 研究室

<プロフィール紹介>

教授 サンジェイ パリーク(工学博士)

1983年 Abadina College,Ibadan,NIGERIA(高等学校卒業)
1986年 University of Rajasthan,Jaipur,INDIA(大学卒業)
1987年 日本大学工学部建築学科建築化学研究室(研究生として入学)
1988年 日本大学大学院工学研究科博士前期課程建築学専攻入学
1993年 日本大学大学院工学研究科博士後期課程建築学専攻修了 博士(工学)取得
大東コンクリート株式会社入社
1996年 大東コンクリート株式会社退職
日本大学工学部建築学科助手
2000年 日本大学工学部建築学科専任講師
2008年 日本大学工学部建築学科准教授
2018年 日本大学工学部建築学科教授 現在に至る